今回は田坂広志さんの『運気を磨く』を読了したので、内容をまとめていきたい。
著者の紹介
田坂さんの本は『死は存在しない』、『すべては導かれている』など数冊読んだことがあり、いつも理論的でわかりやすい。はじめに田坂さんの経歴を簡単に紹介させていただきたい。
学位は工学博士(東京大学・1981年)。 多摩大学名誉教授・大学院経営情報学研究科特任教授、グロービス経営大学院大学特別顧問・経営研究科特任教授、株式会社日本総合研究所フェロー、シンクタンク「ソフィアバンク」代表、田坂塾(任意団体)塾長、社会起業家フォーラム代表、社会起業大学株式会社“名誉学長”。
Wikipediaより引用
東大出身で、原子力工学の工学博士でもあり、根っからの科学者である。そんな田坂さんが本書では、”運”について語る。
本書の結論
運気を磨く方法
早速、タイトルにある通り、いかに運気を磨くかを見ていきたい。
運気を磨くという思想の前提には、「良い運気」と「悪い運気」、運を引き寄せたいと思う心がある。私自身、読む前まではそう思っていた。この本を読めば、良い運気を引き寄せる方法論がなにかしらわかるのではないか、と。
本書を読み終わって、運気を磨く方法論は理解できた。
その方法論に関しては後述するとして、本書の結論を先に言ってしまえば、運気を磨くというタイトルではあるが、そもそも「良い運気」や「悪い運気」はなく、人生で起こること”全て”を受け止めるという「絶対肯定」の思想が大切だと述べている。
あらゆる事象に関して、本来「良い」も「悪い」もない。
「幸運な出来事」や「不運な出来事」もない。
起こった事象に対して、自分自身がどう思うか、どう感じるか、どのように捉えるか、である。
善悪の判断をせずに、全て肯定的に受け止める「絶対肯定」の思想。
この姿勢、生き方、思想こそが究極のポジティブな思想であり、本質的に運気を磨く方法だといえる。
ポジティブな想念の裏には、ネガティブな想念が無意識化にあり、ポジティブなことを思うということは、その裏にはネガティブなことが存在する。本来はどちらも無いのだ。
一部、本書の結論部分を引用したい。
本書の思想は、いかにして「ネガティブな想念」「ネガティブなもの」「不運な出来事」を否定していくかという思想ではなく、本来、我々の人生においては、「ネガティブな想念」も「ネガティブなもの」も「不運な出来事」も無い、という「全肯定」の思想、すなわち「絶対肯定」の思想を述べている。なぜなら、「二項対立」の世界にとどまるかぎり、表面意識の世界で、どれほど強く「ポジティブな想念」「ポジティブなもの」「幸運な出来事」を心に描いても、我々の無意識の世界では、必ず、プラスの想念とマイナスの想念の分離が起こり、そこに、「ネガティブな想念」「ネガティブなもの」「不運な出来事」といったものが生まれてくるからである。そこに、「二項対立」の思想の限界がある。
p263
では、「絶対肯定」の思想とは?
人生で与えられるすべての出来事や出会いは、それがどれほど否定的に見えるものであっても、我々の心の成長や魂の成長という意味で、必ず、深い意味を持つ、という思想である。
p264
『夜と霧』の著者であるヴィクトール・フランクルは、第二次世界大戦においてユダヤ人であったため、ナチスドイツによって家族とともに強制収容所に投獄され、壮絶な人生を送った方であるが、その著者で『それでも人生にイエスと言う』に象徴されるように、すべてを肯定するという思想、意志を持っていることがわかる。
哲学者ニーチェは、「永劫回帰」の思想を語っており、それは、もし仮に全く同じ人生が、未来永劫、何度も繰り返し与えられるとしても、その人生における耐え難い苦痛や苦悩も含め、全てを受け入れ、肯定するという思想である。
日本においては、親鸞(浄土真宗の宗祖)の言説をまとめた『歎異抄』の中の「悪人正機」の思想にも見られる。『歎異抄(たんにしょう)』は、司馬遼太郎や吉本隆明、西田幾多郎などの知識人にも多大な影響を与えた仏教書である。
善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。
この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。
そのゆゑは、自力作善の人(善人)は、ひとへに他力をたのむこころ欠けたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれら(悪人)は、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
『歎異抄』第3章
「善人でさえ浄土に往生できるのだから、まして悪人はいうまでもない」という考え方なのだが、我々の日常的な感覚で考えると逆のように思えるが、親鸞先生の思想はそうではない。
浄土教では阿弥陀仏が信仰の対象であり、衆生を救うという阿弥陀仏の本願に基づいて、浄土に往生(おうじょう)しようと願う。これを親鸞は、阿弥陀如来に全てを任せきる「他力本願(絶対他力)」の信仰として広めた。「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えば、誰でも成仏ができるというものだ。
上記を理解するには、「自力」と「他力」を理解しないといけない。他力本願とは、我々が日常で習ったような他人頼りという意味合いではなく、本来の意味は、他力=阿弥陀仏という仏様に全てを委ねるという意味であり、ここでいう善人はまさに「自力」で生きている者、悪人は「他力」に生きているものである。田坂さんの言う、絶対肯定の生き方を実践できているのが悪人なのだ。
よって、「善人でさえ浄土に往生できるのだから、まして悪人はいうまでもない」という言葉に繋がる。
この辺の東洋哲学、宗教史についてはこちらの本で体系的にまとめられているので参考にしてほしい。
さて、そもそも「良い運気」も「悪い運気」もない、「絶対肯定」の思想が大切だという結論部分を先に書いてしまったが、その「絶対肯定」の思想に近づくには具体的にどうすれば良いのかを書いていく。
本書の内容
運気とはなにか?
我々は運が良い、運が悪いなど日常で運という言葉を頻繁に使う。その運気とは何か?
- 「直感」が閃くということ:第六感が働くというもの
- 「予感」が当たるということ:虫の知らせといわれるもの
- 「好機」を掴むということ:タイミングよく自分に都合の良い状況が訪れること
- 「シンクロニシティ」が起こるということ:不思議な偶然の一致が起こること
- 「コンステレーション」を感じるということ:一見無意味な出来事に意味を感じ、実際に良い方向に導かれるようなこと
上記の5つのようなことは実際に誰しも体験したことがあるはずだ。
「良い運気」を引き寄せる「5つの意識の世界」
①個人的な意識の世界:我々の日常的な意識の世界
②集合的な意識の世界:集団や組織、社会など多くの人間が集まった状態の意識の世界。空気や雰囲気、文化といった形で表れてくる。
③個人的な無意識の世界:一般的に言われる無意識の世界
重要なことは、一人の人間が表面的に表している姿(表面意識の人格)と、その心の奥深くに潜む姿(無意識の人格)は、多くの場合、かなり異なっているということ
p52
もう一つ重要なことは、この「無意識」の世界は、「表面意識」の世界を経由することなく、「無意識」の世界同士で互いに感応するということ
p53-
「類は友を呼ぶ」という現象がまさにこれ。なぜ、無意識同士が感応しあうのか?そのことを理解するには、4つ目の集合的な無意識の世界を知る必要がある。
④集合的な無意識の世界:個人の無意識ではなく、集団での無意識の世界
まさにユングが提唱した「集合的無意識」といわれるもので、「人々の心は、深い無意識の世界で、互いに繋がっている」という仮説。同じ空間にいる集団の間で、共有される無意識の世界。
「ある人の想念が、集合的な無意識を通じて、他の人に伝わる」という現象、「以心伝心」や「シンクロニシティ」といった現象は。一対一の人間同士の間でも起こるが、実は、一つの人間集団の間でも起こる。
p59
⑤超時空的な無意識の世界:
4つ目の集合的な無意識は、空間的に限定されている。対して、この5つ目の超時空的な無意識の世界は、時間を超えたものを表している。一度は誰でも経験したことであろう「デジャヴ(既視感)」という現象や、「予知夢」、「正夢」、未来を予見する占いもなどの現象が起こる無意識の世界。
「占い」が当たるのは、実は、占い師や易者が「当てる」のではなく、占いや易を立ててもらう人の心の奥深くの「何か」が、その「占い」の結果を引き寄せるのである
p68
ゼロ・ポイント・フィールド仮説
上記の5つ目の超時空的な無意識の世界を言い換えたものが、ゼロ・ポイント・フィールド仮説といわれる。ゼロ・ポイント・フィールド仮説とは、この宇宙のすべての場所に偏在するエネルギー場であり、この場に宇宙の過去から現在、未来の全ての情報が記録されているという仮説。量子物理学の世界では、何もない「真空=量子真空(Quantum Vacuum)」の中にも膨大なエネルギーが潜んでいることが明らかになっている。インフレーション理論によれば、ビックバンによって起こったこの宇宙もまさに1点の極小の点から始まったとされている。
究極、すべては、この宇宙の中で起こった「エネルギー」と「波動」の動きに他ならず、その「波動」のすべての痕跡が、「波動干渉」の形でホログラム的に記録されているという仮説は、ホログラムというものが、ほぼ無限に近い膨大な情報を記録できることを考えるならば、科学的に見ても、一定の合理性を持っていると言える。
p78
「ゼロ・ポイント・フィールド」には、すべての情報が「波動」として『ホログラム的な構造』で記録されていると述べたが、これは、正確には、波の干渉を使った「ホログラム」の原理で情報が記録されているという意味である。
p84
量子力学の世界では、「光は、波でもあり、粒子でもある」という波動と粒子の二重性がある。そして、その光を観測した時点でその光が波になるか、粒子になるかが決まるという不思議な挙動をする。つまり、観測していない時にはどちらか定まっておらず、どちらの可能性もあるということだ。
ゼロ・ポイント・フィールドでいう、真空(最小の粒子)もまた波の状態でもあり、粒子の状態でもある。全ての過去・現在・未来の情報が波動として記録されているということは、全てのあらゆる可能性(未来に起こることも全て)が内包されているということになる。
そうなると未来は決まっているのか、と思うかもしれないがそうではない。
あらゆる未来がパラレルワールド的に存在しており、”観測”した時に未来(その時点では現在になる)は決定する。このゼロ・ポイント・フィールド仮説はあくまで”仮説”であり、科学的に根拠のあるものではないが、量子力学の波動と粒子の二重性については、解釈は分かれるが科学的に正しいとされている。
老子のいう、無でも有でもない、道(タオ)という世界があるとすれば、何もない真空のような場であるが、何もないということは反対に全ての情報を含むとも考えられる。よって、ゼロ・ポイント・フィールド仮説というものは言い方や表現方法は違えど、概念としては正しいように思える。
引き寄せの法則はなぜ起こるのか?
我々の日常ではよく「引き寄せた!」など言う場合がある。
その引き寄せとはなぜ起こるのか?
なぜなら、「ゼロ・ポイント・フィールド」に記録されている情報は、それが先に述べたホログラム的な記録であるならば、「波動」として記録されており、また、我々の脳や心の中に存在する想念も、それが量子的プロセスで存在しているのでれば、これも「波動」として存在しているからである。そして、物理学の世界で良く知られているように、一つの波動は、その波動と「類似の周波数」のものと「共鳴」を起こすからである。
p87
超時空的な無意識の世界で、時間と空間を超えた情報伝達が起こることで、偶然とされてきた「以心伝心」や「未来の記録」、「前世の記憶」、「テレパシー」なども合理的に説明しやすい。そしてまた、神や仏(浄土真宗でいえば、阿弥陀仏)、天と呼ぶものの実態こそがこの超時空的な無意識の世界、すなわち「ゼロ・ポイント・フィールド」そのものであると本書では述べられている。そして、「ゼロ・ポイント・フィールド」に繋がる方法が、「祈り」や「祈祷」、「瞑想」などの技法だと。
「良い運気」を引き寄せるには?
我々はどのようにして「良い運気」を引き寄せることができるのか?
「良い運気」を引き寄せるためには、無意識の世界を「ポジティブな想念」で満たす必要がある。
しかし、我々の無意識には既に「ネガティブな想念」が蓄積しており、「ネガティブな想念」は「ポジティブな想念」を打ち消してしまう。
よって、「ネガティブな想念」を消すことがポイントとなる。
本書で述べられている田坂さんが永年実践しているという「ネガティブな想念」を消す3つの技法をここでは簡単に紹介させていただく。詳しくは本書を手に取ってほしい。
①人生の習慣を改める=「無意識のネガティブな想念」を浄化していく技法
1つ目の技法は、日々の習慣を改めることである。3つの習慣に分けられている。
第一の習慣 自然の偉大な浄化力に委ねる
自然に触れること。自然に身を浸すこと。
第二の習慣 言葉の密かな浄化力を活かす
ネガティブな日常言葉を使わない、ポジティブな日常言葉を使うこと。
第三の習慣 和解の想念の浄化力を用いる
ネガティブな想念の多くは人間関係から生まれる。人間関係において相手への不安や恐怖、不満や怒り、嫌悪や憎悪といった摩擦や葛藤、反目や衝突からネガティブな想念の多くが発生している。ネガティブな想念は、無意識の世界でネガティブなものを引き寄せ、悪い運気を引き寄せてしまう。このような人間関係で発生するネガティブな想念への対処には、一人一人と和解していくことが効果的である。本書には具体的に和解する手順も書いているが、要は心の中で感謝の言葉を述べて和解すること。
②人生の解釈を変える=「人生でのネガティブな体験」を陽転していく技法
自分の過去の人生における「ネガティブな体験」を一つ一つ、「陽転」させていくことによって、無意識の世界にあるネガティブな想念を消していく技法だ。つまりは、人生の「解釈」を変えることだ。この技法の目的は、「自分の人生を愛すること」。
解釈の第一段階
自分の人生には多くの「成功体験」があることに気がつく
解釈の第二段階
自分が「運の強い人間」であることに気がつく
解釈の第三段階
過去の失敗体験を振り返り、それが、実は成功体験であったことに、気がつく
解釈の第四段階
自分に与えられた幸運な人生に感謝する
言葉を換えれば、天の采配や大いなる何かの導きに感謝することである。
解釈の第五段階
自分の人生に与えられた究極の成功体験に気がつく
そもそも、こうして生きていることが有難いことだと。
「あの人に巡り合えたから今がある」、「あの日あの時の出会いが全てを変えた」などといった自分が「幸運」に導かれた体験を思い起こすこと。幸運は時には不運な出来事の姿をしてやってくる。不運な出来事が起こった時でもそれをどう捉えるかは自分次第、自分の解釈次第なのだ。よくコップの水が半分しかないのか、半分もあるのかという例え話で言われるが、物事をどのように解釈するかが重要である。常にプラスの解釈ができるようになれば、ネガティブな想念が発生することなく、ポジティブな想念で満たされるようになる。
③人生の覚悟を定める=「究極のポジティブな人生観」を体得していく技法
第一の覚悟
自分の人生は、大いなる何かに導かれていると、信じる
第二の覚悟
人生で起こること、すべて、深い意味があると、考える
第三の覚悟
人生における問題、すべて、自分に原因があると、引き受ける
第四の覚悟
大いなる何かが、自分を育てようとしていると、受け止める
第五の覚悟
逆境を超える叡智は、すべて、与えられると、思い定める
ゼロ・ポイント・フィールドの様々な言い方
ゼロ・ポイント・フィールドのことは、あらゆる角度から様々な言い方で表されている。
アカシックレコード:スピリチュアル的な話でよく言われるすべての情報が保管されている場所。
阿頼耶識:仏教の唯識思想では我々の意識の奥には「末那識(まなしき)」があり、さらにその奥には「阿頼耶識(あらやしき)」があるとされており、阿頼耶識には過去のすべての結果、未来のすべての原因となる「種子」が眠っているとされている。
絶対無の場所:意識の「存在と無」の対立以前の真の無、西田幾多郎が求めた「絶対無の場所」
空(くう):般若経典の1つで有名な『般若心経』。その中の「色即是空」の空の思想であるが、八宗の祖である龍樹菩薩(ナーガールジュナ)が後に空の哲学として完成させる。
道(タオ):老子の思想であり、天地よりも先に存在したものを「道(タオ)」という。
道の道とすべきは、常の道にあらず。
名の名とすべきは、常の名にあらず。
名無きは天地の始め、名有るは万物の母。
老子
まとめ
はじめに結論で述べた「絶対肯定」のポジティブな思想でいつづけることができれば、それはすなわち我々が求めていたことが既に手にしている状態になる。
起こること全ては肯定的なことなので、良い運気を引き寄せるという概念そのものも消失する。
この思想であり続ける過程、人生で必要なものを、必要なときに、不思議な形で、引き寄せていく。
起こること全てに感謝をし、生かし、繋げていくこと。
今ここに”在る”ということが”有り難い(有るということが難しい)”ことだと真に心から思えれば、この絶対肯定の思想に近づけれると思う。
人は誰しも自力で生きてはいけない。生まれた以上は両親がいて、学校に行って、会社で働いて、生活をし、生きている。その中であらゆる奇跡の中で存在している。
このことを実感し、「絶対肯定」の思想の人が増えることを切に願う。
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